Japanese-museum 日本の美術館。

Japanese-museum 日本の美術館。
だいたい1,000箇所の美術館にご挨拶を出しているが、どの美術館も好意的である。
本企画の主旨を理解して頂いていると思う。
まあ、初めは手探り状態でスピード感に欠けるが、その内ギアをトップに入れて走り出すだろうと思う。
ギアがトップに入った時が楽しみでやっている、これが創造の醍醐味である。
その中で一人の彫刻家、平櫛田中の事を調べていたら、彼の言葉が出てきた。
そこには、男は100歳から、ここから、ここから。とある。
それなら、私もそれにあやかってそうしようではないか。と・・・・。
であれば焦る事もない。
わたくしは、今年68歳になる。だいたい50歳以上の人を見ると皆先輩に見えてくる。自分の感覚は30歳代くらいにしか考えていないせいでもある。
兎に角、あと2,30年は頑張りたい。
また、今回の日本の美術館の企画で芸術の本質を勉強し直すのも良いと思っている。

TERADA

日本の芸術総合サイト

日本の芸術総合サイトを立ち上げる。
日本の美術館。日本の芸術家。日本の文化。
それらを網羅したサイト。ここを見れば日本の文化芸術の見たい所に辿り着く。それらは全て英語表記でする。つまり、外国人向けのサイトである。
全てを完成させるのにかなり時間を要するが、これは私のライフワークである。やっとここまで辿り着いたか、と思う。
何事も一気にいかないのである。これは、いいわけではないが、前に進んで見なければ新しいものは見えてこない、物事の結果への批判は誰にでもできる。しかし、誰も経験したことのない行為は成功と失敗の五分五分のなかで進められている。
そうした行為は中々認められない。すべては結果だけが求められる。
ローマは1つ1つのレンガ積みあげてできあがている。
その初めの行為こそ賞賛に値するのである。
完成よりもはるかに立派なのである。
自分のこれからする事をその様に言うこともちょっと変であるがその位思い切った志しを持って進むという事も理解して貰いたい。
歳をとるにしたがってもっと日本を何とかしたいと思ってくる。
本当は私なんかよりもっと出来る人がいるはずだが、とおもってる。その辺が歯がゆい。
サイト名は、Japanese-museum
アドレスは、Japanese-museum.com

TERADA

2016年の年明けから…

2016年の年明けから大きな企画に着手する。これは私のライフワークと言っても言い過ぎではない。
今その全貌を発表出来ないが、近く皆さんに知らせる事ができる。準備はできあがっている。正直なところ私自身ワクワクする思いである。
今日はその初仕事で松江市まで行き、明日は、また別な都市にいく。今のところ週末活動がおもになる。
別にもったいぶっているわけではない。
こういううふうにさせるのは私のワクワク感から来ていると思われる。その点からしても実に楽しく、壮大な企画だと言うことは言える。
兎に角、今日から始まる。

TERADA

2016。新年明けましておめでとうございます。

2016。新年明けましておめでとうございます。
今年は皆様にとって良い年になりますように。
さて、ドイツに住んで活動をするようになって足かけ17年、その中で昨年のように日本に8か月も居ることは無かった。この二年間、随分と地方自治体と関わって見たが、その結果、見えてきたものは、多分100年たっても地方は変わらないだろう、と言うことだ。
そして、原発問題を考えても地方の人たちは金に群がる事しか頭にない。未来よりも今の饅頭が欲しい。
もう少しましな創造力を持てないものかと毎日思う。
しかし、それを見透かして自民党政権は金をばらまく。
未来の日本より今の自民党政権の維持を考える。
世の中の人たちもそれは分かっていながら自民党に1票をいれる。特に地方の人たちははその傾向が強い。
それ故何も変わらない。
こうゆう現象を一言で言えば、人材不足と言える。しかし、そんな事は誰も言わない。
このことについての政策が全くないのが残念でならない。
政治家のレベルもさることながら、メディアのレベルが低い、これでは国民の代弁など不可能である。
この程度の話題だけではないが地方も日本も金まみれの状況を永遠に歩むとすれば、世界の社会状況は国民が全く望まない方向に進んでもおかしくはない。
2016年。新年。

Rin TERADA

今日、新聞社が…

今日、新聞社がベルリナーリステ2016のことで取材に来る。当然そこで地方創生の話になる。
地方創生に関する本を読んでみたが、どこも永続的な処方箋はない。
どの自治体も即効薬を欲しがっている。だから損をするか徳かの、そんな政策になる。
それを後から押しているのが自民党政権である。
何がなんでも選挙に勝ちたいと言うのが見え見えである。それを逆手にとって地方交付金をあてにしているのが地方自治体である。
つまり、税金をたらい回し、垂れ流ししているだけである。もっと永続性、未来遺産となる施策が必要である。そのために住民に多少の不自由さを与える政策に楫を切ったとしても致し方ない。
2017年の消費税10パーセントは国の借金を減らすはずだったが、同時に企業減税や感減税を導入したら借金などかえせない。いや、返すつもりはない。
この二つのことに限らず、消費税が10パーセントになると同時に年金受給者の枠が広がる。
今まで300月の納金が基本だったが10パーセントになると同時に120月に枠が下がる。
このことを皆さんは知っていますか。
つまり、消費税が10パーセントになったら国の支出金も増える。
国の借金を減らす事など政府は考えていない。
その内国債を持っている連中に借金棒引きの指令を出すしかない。
こんなくだらないことは話すつもりもない。
私はアート活動をとうして地方のあり方をかんがえていく。
それが、TERADA流である。

世の状況と言うものは…

世の状況と言うものは、何処でどうなるか分からないものである。
しかし、一つ確かなことは前に進める意思であり、そこにそそぐ意識である。そして、目的まで一歩一歩、あるいは数センチずつと言った方が良いかもしれない。それくらい途方もない目に見えない努力があれば物事と言うものは動き出す。
その、ジッとして待つ辛さは計り知れないが、それが待つ努力と言うものだと思う。
私も若い時はそれが、つまり待つ努力がないために様々な失敗をした。今となってみれば、それはそれで良いのだと思う反面、無駄な時間を失ってしまった事を悔いる。
しかし、いまはそれらの経験を糧に新しい事に挑戦している。
いよいよ、マスコミがやっと動き出した。

TERADA

ベルリナーリステ2016の…

ベルリナーリステ2016の募集は内容の良いものになった。これで、安心してアートフェアに望める。
アーティストもまた素晴らしい。
この内容であればなんでもできる。既にドイツ、ブランデンブルグ州での展示も打診された。
意外な方向に進むかもしれない。
物事と言うものは進めて見なければ分からない。
頭の中で考えているだけでは広く発展することはない。
発明家、エジソンは、1パーセントの可能性が有ればやってみる価値がある。と言っている。
私たちのような凡人では1パーセントは無理としてもどこかに成し遂げられる可能性がチラツイテいるならやっぱりやるべきである。
そこに挫折が待ちかまえているとしても、或いは挫折した、としても何も恐れることもない。
挑戦する意思、これが最も大切である。また挫折のない人は挑戦をしたことがないともいえる。
そう言う人は尊敬に値しない。
特に若い人に言いたい、自分の状況を良くしたいと思ったら何事にも挑戦してみることだ。

TERADA

日本人はおとなしいので…

日本人はおとなしいので困った時つまり窮地に立った時であるが、その時の脱し方が下手な事が多い。
そう言う時のモチベーションの持って行き方が出来ていればおおよその事は出来るわけである。
本当はそんなことは必要ないのが望ましいのだが長い人生そうはいかない。
作品制作していても壁にぶつかれば、それを打破するために色々考えねばならない。
何事も労せず出来るのは天才と言うことになるが、私たちのような凡人には色んな難題が付きまとう。
しかし、そうしたことを解決しながら前に事を進めていくことによって知識や経験が備わって進歩していく。
2016年のBERLINER LISTの計画も最初はどうなるか、と思ったが今となれば形が出来てきた。
そして、ミュージアム竹下成果工場の食堂もやっと先が見えてきた。
言い訳ではないが目的達成まで何事も時間が掛かる。
ある敏腕弁護士の手記に、我慢していれば必ず勝てる。とあったが、もう少しそれに付け加えれば、何事も最後まで諦めない、結果が出るまで諦めないことである。

TERADA

田舎を変えなければ…

田舎を変えなければ日本は変わらない。
誰しもがそのように考えるのだが、誰もそれを出来ない。その理由は田舎者たちの結束力である。その結束力をうまく使っているのが田舎を選挙地盤とする議員たちである。
その議員達では田舎を改革することには出来ないと言うのはやっぱり当たり前である。
地方から海外へと福井でも言ってみたが、笛吹けど踊らずで終わった。もう一回、島根からと思いやってみたがやっぱり同じ事だった。
そこで、こんどは如何するかとなり全く田舎を相手にしない日本全体中央主義が良いのではないかと考えた。これはどうゆう事かと言えば、来る者は拒まず、去る者は追わず。ということになる。
これがいわゆる中央主義ではないかと考える。
つまり、新陳代謝主義と言い換える事が出来る。
短期型結果を求めれば消え去るのは必然で、長期型結果を求めれば必然とそこにとどまり、その結果ある種の成果を上げることができる。
一度成果を上げ出すと成果が成果を呼ぶことになる。
実は、島根の田舎で既にその兆候は見えてきている。
次の展開はそれをひっさげて世界に躍り出る事だと思っている
JYAG2016に良い作品が集まっているのは今述べた事の証明である。

TERADA

世界で活動していくには。

世界で活動していくには。
ひたむきに自分を鍛えていく事がひつようだ。
ところが、大概の人は短期型成果を期待するのでひたむきに自分を鍛える時間が取れないまま終わってしまう。
才能は人それぞれ違うとしても、たかが人間のこと大して大きな違いはない。
要するに才能を開花させる方法をその人が理解得しなければならない訳であるが、それを怠っている人が殆どである。
つまり、急がば回れ、と言う格言そのものである。また、たいていの先生方は一生懸命制作することを言うが、確かにそれは必要な事ではあるが、もっと自分と向き合う事を教えていかねばならない。
それはある意味において宗教的な要素を含んだとしても致し方ない。
それらは違った角度から自分を見、自分を観察する事になる。それらを繰り返していく時間の流れのなかで生じてくる失敗、苦悩を素直に受けとめていく。
その頻度が高まれば高まるほど自分に更なる苦しみは生じてきたとしても、それれらを作品制作に反映していけば、自然に全ての失敗や苦悩は制作活動上で回避されてゆき、自分自信にとって良き勉強であったと納得することになる。
得てして人は、一度経験した苦しみを二度としたくない。と思うものであるが、もし、そうした事が自然な形で自分の前に現れるようであれば、二度でも三度でも受けとめてみることである。
その繰り返しが自分を鍛えていく。

TERADA