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2015年10月24日 ドイツ メルキッシェ・アルゲマイネ新聞 掲載
世界を結ぶ
画家・寺田琳は、芸術の持つ「結びつける力」を信じている。西と東との交流を図るクリエイティブなアイデアはラーテノウにあるアトリエで生まれた。
マーコス・クニーベラー記者
ラーテノウ。そもそも寺田琳とはいったい何者なのか?2009年からラーテノウに暮らし、それからというもの数々の展覧会や芸術活動によって、ラーテノウ市における文化的生活を豊かにしてきたこの日本生まれの画家については、しばらく情報が途絶えていた。無理もない、というのも、寺田琳は長い間この町を離れていたからだ。遠くへ。約一年半の間、彼は日本の一都市である大田市に滞在し、そこで古い製菓工場の建物をミュージアムへと造り替えていた。ラーテノウと南日本の間には地理的にはかなり距離があるとはいえ、内容面からみれば寺田は決して遠くへ行ってしまったわけではない。彼は、自らの67年の人生を賭して五年前にハーフェルランド地区で開始した取り組みを、故郷でも続けているだけなのだ。それは、東洋と西洋の文化交流であり、日本ドイツ間で芸術の縁を繋ぎ、深め、世界を取り持つ活動である。

現在もパラセルスス通りに巨大なアトリエを構える寺田がラーテノウで気づいたのは、極東に位置する自らの故郷とドイツを結ぶ文化交流が、いかに可能性に満ちたものであるかということだ。彼は文化会館にて自らの作品を展示するだけでなく、日本人アーティストの作品を集めた二つの大きな展覧会も行っている。また寺田が架け橋となり、ラーテノウ芸術協会の芸術家たちは2014年の夏、東京で作品を展示する機会を得た。2011年の大津波によって寺田の生まれ故郷である仙台周辺が壊滅的な被害を受けたとき、彼は被災者のために大規模な募金活動を行った。そしてその二年後、今度はハーフェルランド地区の一部をエルベ川の氾濫が襲った際には、被災者を支援すべく自らの作品を競売にかけた。こうした芸術活動なども含む一連の社会的功績が讃えられ、寺田はラーテノウ市から文化勲章を授与された。

このような男がこっそり姿を消すのは容易なことではないし、寺田自身もそんなことは望んではいない。数日前から彼はドイツに舞い戻り、じっくりと創作に取り組むべく、時間が許す限りラーテノウのアトリエに篭っている。寺田特有の、金箔や銀箔で純化された ─ あるいは昇華されたと言うべきかもしれないが ─ 作品群は、彼の人となりを如実に示すように、新たな創造的推進力に満ち溢れている。

ただし、自らの創作活動に割ける時間は限られている。寺田は来年、世界のアートシーンにおいて重要な位置を占め、名実ともに最大のアートメッセのひとつであるベルリナーリステにて、日本人アーティストたちを紹介する。メッセ終了後、彼らの作品の一部がラーテノウにやってくることを期待しよう。寺田が、遙かなる東洋と西洋をハーフェルランドで引き合わせるのは、決して初めてではないのだから。
寺田琳略歴
画家・寺田琳、1948年青森生まれ。2000年渡独、その後2009年にラーテノウに移住。パラセルスス通りに構えたアトリエにて、創造力の迸るがままに芸術活動に勤しんでいる。寺田作品の内では、伝統的な日本画の素材と現代アートの手法が見事に一体化し調和している。
2011年、津波被災者への募金活動などを通して多くのラーテノウ市民にその名が知られるようになる。
2013年夏、エルベ川氾濫の被災者支援のため自らの作品を競売にかける。
同年、ラーテノウ市より文化勲章を授与される。
日本人アーティストの作品を扱う二つの大きな展覧会をラーテノウにて開催した。
記事執筆:マーコス・クニーベラー
日本語訳:井上春樹

 

 

世界で活動していくには。

世界で活動していくには。
ひたむきに自分を鍛えていく事がひつようだ。
ところが、大概の人は短期型成果を期待するのでひたむきに自分を鍛える時間が取れないまま終わってしまう。
才能は人それぞれ違うとしても、たかが人間のこと大して大きな違いはない。
要するに才能を開花させる方法をその人が理解得しなければならない訳であるが、それを怠っている人が殆どである。
つまり、急がば回れ、と言う格言そのものである。また、たいていの先生方は一生懸命制作することを言うが、確かにそれは必要な事ではあるが、もっと自分と向き合う事を教えていかねばならない。
それはある意味において宗教的な要素を含んだとしても致し方ない。
それらは違った角度から自分を見、自分を観察する事になる。それらを繰り返していく時間の流れのなかで生じてくる失敗、苦悩を素直に受けとめていく。
その頻度が高まれば高まるほど自分に更なる苦しみは生じてきたとしても、それれらを作品制作に反映していけば、自然に全ての失敗や苦悩は制作活動上で回避されてゆき、自分自信にとって良き勉強であったと納得することになる。
得てして人は、一度経験した苦しみを二度としたくない。と思うものであるが、もし、そうした事が自然な形で自分の前に現れるようであれば、二度でも三度でも受けとめてみることである。
その繰り返しが自分を鍛えていく。

TERADA

ヨーロッパ・ドイツ・マルタ

ヨーロッパ・ドイツ・マルタ。
滞在中に見たものは、やはり、シリア難民だった。
マルタの新聞の一面の写真にくぎずけになったのはブルガリア国境近くを歩く12000人の難民とそれを誘導する警護の警察官だった。
12000人の歩く姿を俯瞰した状況は、第二次世界大戦の敗戦国民やユダヤ人捕虜、あるいはシベリヤ抑留者の一団が歩く姿・真っ黒く長く太く、そうした写真と同じに見えた。
新聞の見出しには、こう書いてあった。
私達はドイツに行きたい。
そして、どんな事があっても問題ではない。
写真の左下にはfield of dream?
私の住むラーテノウには難民の住居がある。彼らは認定されているので語学学校に通っている。
彼らと電車のなかで会ったとき、皆うれしそうだった。もう一つ、ドイツの拠点になっている駅に難民が休んだ休憩所があった。
一歩入った瞬間、私は今まで嗅いだことのない異臭で直ぐさま外に出た。
TERADA

アメリカ合衆国20州46美術館を…

アメリカ合衆国20州46美術館を手玉に取った贋作作家慈善事業家の映画が公開される。
贋作作家は歴史上有名な芸術家の作品をつくり、美術館に寄付してきた。
寄付された46美術館はそれを全く見ぬけなかったのである。
この現状を見ても美術館の職員には鑑識眼はないのだ、と解る。
これはどうしてこのようになるのか、となるが、美術館職員、学芸員や館長は、実物の作品を見て勉強していない。
ただ書物からのみ知識を入れているだけであるからこのようになる。本物を見る目。これを養っていないのである。
今回のこの結果は何よりそれを実証している。

これに近い話はいっぱいある。
ベルリンのある美術館には贋作と分かるものがいっぱい並んでいる。
それを寄付するものから他のものを買い取っている。実はこちらの方が悪質である。
また、時々、美術館主催の企画展のなかに贋作が何点か入っている時がある。
私でもこれは違うな、と思う時がある。しかし普通の人はそんな事は疑わない。
おそらくそれは美術館側も同じで疑う事はない。
それくらい美術館の学芸員や館長は鑑識眼と言うものにうとい。
昔、三越で中近東の古美術店をやったことがある。そこにもにせものがいっぱいあった。
それを見ぬいたのは松本清張である。
この話は美術館ではなくデパートであるが、日本のデパートは可成力がある。
美術館以上に力があるので話題として出してみたが、その他の日本の博物館や美術館にはいっぱいこれらの話はある。
特に田舎の博物館などはあきれる位ひどい。
偽物ではないが、先日島根県立美術館の若冲展を見た。
この展覧会はどこかの業者が美術館に持ち込んだものだと思うがほとんどサギに近い。
パンフレットに出ていた若冲の絵はどこにあるのかさんざん探したあげくたずねてみると、それは途中からの展示である、と言う。
では、私が買ったチケットはその時使えるのか、となれば使えないと言う。
県立美術館でさえこの体たらくである。
伊藤若冲展となれば人が集まるのは必至である。
しかしあったのは若冲のデッサンのような墨絵とそれに数合わせの他の作家の作品の展示であった。
世界中アートブームの中でこのような現象が増える事は間違いない。
何が良くて何が悪いか、その辺の鑑識及び見識眼を鍛えることが必要だ。
寺田琳

中国でイベント活動を…

中国でイベント活動を展開している人とあった。
中国に作品を入れるところから難しいと言う。ましてお金を中国から出すことがさらに大変だと言う。
始めは当然中国で商売をする場合、中国人とビジネスパートナーとならねばならないわけで、その時点では差ほど問題は無い。
しかし2回目あたりからお金の支払いがわるくなる。
次に組織そのものをとられてしまう。
つまり、中国では個人財産と言う定義はなく、すべて国のものであるからどのようにでも処理できるのである。
日本の企業が会社をそのまま中国に置いて撤退するという現実を見ればよくわかる。
ようするに中国と言う国は旦那衆のあつまりで、海外から来るものは旦那衆に面倒みてもらうことになり、その旦那が良い人か悪い人かでビジネス展開が違うと言う。
そこにはただ運が良いか悪いかということしかないようだ。
日本人はその点において非常に甘いと言っている。
たしかにその通りである。
いつも日本人は、こちらがちゃんとしていれば相手も誠意を示してくれると思っているが、一歩日本を出たらどんな国も日本人を喰い物にしよう、と待ち構えていることを忘れてはならない。
その点において言えば、日本政府の外交を見ていれば一時が万事おろかすぎてあいた口がふさがらない。

今日の日本のアート界における…

今日の日本のアート界における国際感覚はほとんど無いに等しい。
各美術団体の上層部に及んでは国際知識というもの、それすら何なのかも良くわかっていない。
芸術院会員の諸先生方は未だに印象派を夢見ているような状況である。

10月21日のマルタの新聞の一面見出しには、シリア難民の1万2000人を警察官が先導している写真だった。
彼ら難民はシリアから逃れて、東ヨーロッパからドイツを目指している。ドイツに行くこと。それが彼らの夢だと言っている。そのために何日間も歩き続けることなど何の問題もない。と言う。
日本人はこうした国際状況全く知らない。日本の新聞もテレビもほとんど発表していないようなものである。
アートの世界の動きに至っては、新しい情報として取り上げられるものは みな何年か前のものである。

2008年にリーマンショックでアート界も打撃を受けたが、その時の世界のアート業界、つまりギャラリー、アートフェアの変わり方は、数ヶ月単位で取り扱う作品が変わっていた。
そのスピード感を日本もまねしろ、と言っているのではなく、もっと世界情勢に目を向ける必要がある。ということである。
日本のテレビのニュース番組も人気タレントばかり使っているようではニュースの中身が希薄になってしまう。
日本人はもっと形体美から卒業することである。

海外に大きな作品を…

海外に大きな作品を持ち込んで活動を展開する事はそんなに簡単なことではない。
小さな作品だったり、国際交流のためにするのであれば難しくはない 。
作品を販売するという活動はそれらとは全く異なる。
まして1人の活動の成果を上げていく、広げていく、と言う活動は前に進むにつけ様々な障害が出てくる。
また、障害を乗り越えていくことによって進歩がある。日々の活動は障害を乗り越えていく連続だと言っても良い。
活動広げていくということはそういうことなのだ。

今、私の美術館となっているドイツのダイデスハイムのスポンサーとて、全てが順風満帆とは言えない。
スポンサーは企業である。その企業が個人の要求を全部ひき受け入れると言う事はない。
そこでは互いの利益のために戦いがある。
戦いは大いにやれば良い。しかし両者の関係を破壊してしまえば、どちらにも利益はなくなる。
芸術活動も金を追いかける経済活動も、中身はそんなに変わらない。

芸術活動において最も大切な事は、芸術は特別なものだという考えを持たないことである。
日常の生活の一環であり、普通のことなのだと言う認識が必要である。

嘘八百の…

嘘八百の民主党政治は二度と政権運営はできないだろう。かと言って、自民党が良いと言う訳ではない。
最近、ユーチューブで政治討論を見ているが、立派な国会議員の頭の中身もこんな者かと呆れてしまう。
特に女性議員のレベルの低さが目立つ。
男女雇用均等法をつくってどの位立つか分からないがかなりな時間が経っている事は間違いない。
その割には政策全体が成長していないことになる。
成長しない要因は、日本社会が女性に甘い。それと、男性社会が女性に甘い。これでは女性の成長を望むのはむりである。
時々、島根から出て都会に行くとそう言うことが目の前で展開されるのを見ると、愚かとしか思えない。
いい年輩の会社員で役職者と見えるオヤジが髪を額に垂らして同行の若い女性にに話し掛ける様子を見てウンザリする。あれでは女性の地位向上を期待しても無理で、さらに、男性の向上さえ危なっかしい。
日本人には、どうみても自立心がたりない。
その辺を改善する人材育成が急務である。

TERADA

日本の美術事情

日本の美術団体と接触して感じるところは、どの団体もみんな同じ性格を持ち、同じ方法で運営している、と言う事である。そして、最も悪い事は外からの風を嫌う事である。更につまらないことは審査員の力関係で作品の善し悪しよりコネが優先されることである。
それ故、受章作品がつまらない。こうしたことを日本の美術団体は延々と続けているわけである。
それにわを掛けて情けないことは、マスメディアも美術でめしを食う連中、美術評論家なる者達は、誉めることしか能がなく、日本の美術界に寄与する、と言う意気込みなど微塵もない。その結果、日本美術という一風変わった世界の美術事情とは全く異なった日本事情美術なるものをつくりだしている。
そこで思うのは2009年頃に海外向けの・外展なるものを考えた事があった。今またそれが必要ではないかとかんがえている。
戦後、進駐軍によって日本の典型的な習慣が排除されようとしたが、結果的に金の力でおしかいされ、天皇制は別としても、家元制度を代表に日本の悪しき慣習はそのまま維持された。
美術団体もまたその中に入っている。
私は、今回の安保法案のようなものは必要ないが、海外に向けた新しい法案は必要不可欠だと思っている。
その事は、国会議員の討論や安保法案に反対するデモを見ても、国際事情に疎い、と言うのがはっきり分かる。日本の美術界もまたそのとうりである。

TERADA

海外のアートフェアにつきまして

海外のアートフェアは、一般的な日本の展示会等とは異なり、作品あるいは作家を売り出すことを目的としています。
アートフェアの会場内は、個人の作家、グループ、ギャラリー(ギャラリーが抱える作家たちのブース)などがそれぞれ仕切られたスペースに複数の作品を展示します。
 
そのスペースの一角に商談スペースがあり、資料と共に作家個人、ギャラリスト、あるいは代理人がお客様と交渉します。
交渉相手も様々で、個人の場合もありますし、ギャラリーの場合もございます。
 
大抵の会場内には飲食スペースなどもありますので、上記商談スペースではお酒を飲みながらの交渉も見受けます。
 
日本でのこのような企画は稀ですので、想像し難いかもしれませんが、日本での各業界の見本市のような雰囲気があります。
 
海外ではアートがビジネスとして扱われているのがよくわかります。
 
もちろん、皆様がご参加いただくベルリナーリステ2016のJYAGのスペースでも同様に、専門の担当者が参加者の作品を説明し、販売いたします。
 
以下は先日開催されましたベルリナーリステ2015の会場の様子です。
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それぞれのブースで担当者が来客者に作品を説明しています
 
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多くの場合、机と椅子を用意して「接客」しています

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